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東京高等裁判所 平成11年(う)67号 判決 1999年8月23日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

一  本件控訴の趣意は、検察官田子忠雄作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護士大熊裕起作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、後記1の判断をした原判決には、後記2で指摘するとおりの訴訟手続の法令違反があり、破棄を免れないというのである。

1  原判決は、「被告人は、一 法定の除外事由がないのに、平成九年八月上旬から同月一二日までの間、東京都内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用し、二 みだりに、同月一二日、東京都西多摩郡端穂町大字武蔵<番地略>ホテル「A」(以下「本件ホテル」という。)三〇一号室において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶約〇・二三二グラム(以下「本件覚せい剤」という。)を所持した。」との公訴事実に対し、犯罪の証明がないとして無罪の言渡しをし、その理由として、「原判示の警察官らは、被告人を現行犯逮捕した上、覚せい剤、注射筒、注射針等を差し押さえたが、これに先立ち本件ホテル三〇一号室へ被告人の承諾なしに立ち入ったこと、現行犯逮捕するまで全裸の被告人を約三〇分間にわたって押さえ続けたこと、被告人の承諾を得ることなくその財布につき所持品検査を行ったことはいずれも違法であり、これに依拠する現行犯逮捕及び証拠物の押収手続も違法というべきところ、右違法は令状主義の精神を没却するような重大なものであるから、本件覚せい剤、注射針及びその鑑定書等は違法な収集手続によって得られたものとして、これを証拠として許容することは将来における違法捜査抑制の見地から相当でないので、これらを有罪認定の証拠とすることはできない。また、被告人の尿の採取手続についても、裁判官の発付した強制採尿令状に基づくものではあるが、これに先行する現行犯逮捕手続等に右のような重大な違反があり、令状請求に当たって添付された疎明資料の主要部分がそのような違法な手続によって収集されたものであるから、右令状発付には重大な瑕疵があり、被告人の尿の鑑定書等も違法収集証拠として有罪認定の証拠として許容することはできない。結局、本件各公訴事実については、その使用、所持に係る物質が覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンであることにつき証明がないことに帰する。」旨の判断をした。

2  しかしながら、警察官らが本件ホテル三〇一号室へ立ち入った経緯及び状況並びに本件覚せい剤等の押収経過などに徴すると、同警察官らによる被告人に対する職務質問とこれに伴う所持品検査や被告人の身体を押さえつけた行為は、警察官職務執行法二条一項、五条に基づく適法な職務行為であることが明らかであるし、被告人の現行犯逮捕とその後の採尿手続も右同様に何ら違法な点はないから、本件覚せい剤等の押収手続及び被告人の尿の採取手続に重大な違法があるとした原判決は、警察官職務執行法の解釈を誤り、ひいては証拠能力のある証拠を証拠能力がないとして採用しなかった点において判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある。

そこで、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査して、以下検討する。

二  本件覚せい剤等の押収手続の適法性について

まず、本件覚せい剤等の証拠としての許容性を判断する上で、その前提をなす経緯などについて認定した上で、警察官らが本件ホテル三〇一号室に立ち入った上、所持品検査により本件覚せい剤を発見して被告人を現行犯逮捕し、本件覚せい剤等を差し押さえたことの適否について検討する。

1  警察官らが、被告人を現行犯逮捕し、本件覚せい剤等を差し押さえた経緯等に関して、その概要は、関係各証拠を総合すると、次のとおり認められる。

(一)  被告人は、平成九年八月一一日午後一時過ぎ、いわゆるラブホテルである本件ホテルにチェックインの手続をとって、三〇一号室に一人で入室した。

(二)  本件ホテルの責任者篠原正之(以下「篠原」という。)は、翌一二日午前九時前に出勤して夜勤担当者から被告人のチェックアウト予定が午前一〇時である旨引き継いだが、被告人がその時刻になってもチェックアウトせず、かえって缶入り飲料水五本を一度に注文したり、それを届けた客室担当者から被告人が入れ墨をしているとの報告を受けたため、暴力団関係者を宿泊させてしまい、何時退去してくれるか分からない状況になっているのではないかと心配になり、また職務上の経験からジュースを大量に飲む場合には薬物を使用している可能性も高い旨の知識を有していたので、被告人の薬物使用も懸念した。

(三)  同日午前一一時過ぎ、篠原は、フロント担当者を介して電話でチェックアウトの時間を問い合わせたところ、被告人の返事は曖昧であったが、その際「午後零時」という時刻を言っていたことから、同日午後零時ころまで待った。しかし、なおも被告人がチェックアウトしないので、フロント担当者に再度電話させたが、曖昧なまま電話を切られた。そこで、篠原は、客室担当者を同行して三〇一号室に赴き、外ドア脇のチャイムを鳴らしたところ、被告人が客室と内玄関の間に設置されたドア(以下「内ドア」という。)を開けた様子がしたことから、外ドア越しに「フロントの者です。」と声をかけたが、被告人は、「うるさい。」と怒鳴り返したり、篠原の料金精算要求に、「この部屋は二つに分かれているんじゃないか。」などと言った後、内ドアを閉めて奥に引っ込んだ様子がした。そこで、篠原は、フロントに戻り、本社と連絡をとった上で一一〇番通報をして、被告人が宿泊料金を支払わないこと、被告人にホテルから退去して欲しいことのほか、薬物使用の可能性があることを話した。

(四)  警視庁福生警察署地域課所属司法巡査寺門邦浩(以下「寺門巡査」という。)及び同溝口泰弘(以下「溝口巡査」という。)は。、東京都あきる野市秋川一丁目付近をパトカーで警ら中、同日午後一時一一分ころ、通信司令本部から「端穂町武蔵<番地略>ホテルAにおいて料金上のゴタ」との無線通報を傍受し、直ちに本件ホテルに向かった。その途中、通信司令本部から「相手は入れ墨をしている一見やくざ風の男」との連絡があり、また福生警察署の上司である高橋警部補から、薬物がらみの可能性もあるので事故防止には十分注意するようにとの指示を受けた。

(五)  寺門、溝口両巡査は、事件は無銭宿泊かあるいは立てこもりで、覚せい剤若しくはシンナーを使用しているのではないかなどと考えながら、同日午後一時三八分ころ、本件ホテルに到着し、既に来ていた駐在所勤務の渡部稔巡査部長とともに、篠原から、「昨日チェックインしたお客さんがチェックアウト予定の午前一〇時を過ぎても出てこなくて困っている。何度か電話したが、曖昧な言葉を繰り返すだけで、出てこようとしない。従業員が三〇一号室に行ったときに入れ墨をした男の客がいた。」などの説明を受けた。寺門巡査は、確認のため三〇一号室に電話をして、被告人に、「お客さん、お金払ってよ。」と話したところ、「分かった、分かった。」との返事だったので、料金を払う意思があるのではないかと思ったが、篠原に先ほどからと一緒であると言われて、無銭宿泊かとも考えた。しかし、場所がホテルの客室の中なので福生警察署の上司に電話で相談し、部屋に行って事情を聞くようにとの指示を受けたことから、篠原に、「部屋に行って話を聞いてみましょう。」と言ったところ、同人が、「はい。分かりました。」と答えたことから、寺門巡査は、三〇一号室に立ち入って事情を聞くことにつき了解を得たものと理解し、溝口巡査、渡部巡査部長及び篠原とともに四人で三〇一号室に向かった。

(六)  三〇一号室に到着すると、寺門巡査は、外ドアを叩いて声をかけたが返事がなかったことから、無施錠の外ドアを開けて内玄関に入り、そこで、再度室内に向かって「お客さん、お金払ってよ。」と声をかけたところ、内ドアにはめ込まれた曇りガラスを通して被告が近づいて来るのを認めた。そして、被告が内ドアを内向きに約二、三〇センチメートル開けたことから、同巡査は、被告が全裸であり、また入れ墨をしているのを認めたが、ドアはすぐに閉められた。寺門巡査は、被告人が自己と目が合うや慌てて内ドアを閉めたことから、直ちにドアノブを握って被告人が内側から押さえているドアを押し開け、ほぼ全開の状態にして、内玄関と客室の境の敷居上辺りに足を踏み入れた途端、被告人が両手の拳を振り上げて殴りかかるようにしてきたので、とっさにその右腕をつかみ、次いで同巡査の後方にいた溝口巡査も被告人の左腕をつかみ、その手を振りほどこうとしてもがく被告人を二人がかりで、客室内のドアから入って右手すぐの場所に置かれたソファーに座らせ、寺門巡査が被告人の右足を、溝口巡査がその左足をそれぞれ両足で挟むようにして被告人を押さえつけた(原判決が、寺門巡査が客室内に立ち入った後に被告人が暴行行為に及んだ旨認定しているのは事実誤認である。)。

(七)  被告人が手を振りほどこうとしたり、足をばたつかせ、また体を揺するなどして暴れるため、寺門、溝口両巡査は被告人を押さえ続けたが、寺門巡査は、被告人の目がつりあがった様子や顔色も少し悪く感じられたこと等から、「シャブでもやっているのか。」と尋ねたところ、被告人は、「体が勝手に動くんだ。」、「警察がうってもいいと言った。」などと答えた。そのころ、溝口巡査が、被告人の右手に何かが握られているのに気づき、「右手に何を持っているんだ。」と叫んだことから、寺門巡査も被告人の右手拳の小指の下から針が出ているのを認め、左手で被告人の右手首付近を強く握って注射器を手放させた。

(八)  同日午後一時四六分ころ、上原伸二巡査(以下「上原巡査」という。)は、応援要請に基づき相勤者とともに本件ホテルに到着し、三〇一号室に臨場したが、同室においてはソファーに被告人が全裸で座り、その両脇から寺門巡査と溝口巡査が中腰の状態で、「暴れるんじゃねえ。」などと言いながら、被告人の左右の肩や手を押さえており、被告人は、「うー。」、「放せ。」と言ってもがくようにして暴れていた。上原巡査は、部屋に入ると、テーブルのそばの床上に落ちていた二つ折りの財布や先端が割れている注射筒及び注射針(被告人が握っていた前記注射器)を拾って、注射器を入れる箱や注射針一本が載っていたテーブルの上に置き、寺門、溝口両巡査と一緒になって被告人に氏名、生年月日を答えるよう説得を続けるうち、被告人がようやくこれに答えたので、無線で犯罪歴の照会をして被告人の覚せい剤取締法違反の前歴が判明した。

(九)  上原巡査は、被告人の所持品を検査するため、寺門、溝口両巡査によってソファーに押さえつけられていた全裸の被告人に対し、テーブル上の注射筒等を指して、誰の物かを尋ねたり、テーブル上の財布を手に取って、「これは誰のだ。お前の物だろう。」などと尋ねたが、被告人は答えなかった。寺門、溝口両巡査も加わって追及するうち、被告人はようやく自分の物であることを認めたので、上原巡査において、「中を見せてもらっていいか。」と尋ねたが、返答もしなかった。そこで、寺門、溝口両巡査も、「中を見るぞ。いいか。」と繰り返し説得し、被告人の頭が下がったのを見て、上原巡査は、被告人が財布の中を見せるのを了解したと判断した。

そこで、上原巡査は、同日午後一時五〇分ころ、二つ折りの右財布を開いて、カード入れの部分に入っていたキャッシュカードを見て被告人の氏名を確認し、ファスナーの開いていた小銭入れの部分から白色結晶入りのビニール袋を抜き出して、被告人に対し、「シャブだろう。」と聞いたが返事はなかった。寺門、溝口両巡査も覚せい剤ではないかと口々に追及したが、被告人は、「俺は知らねえ。俺んじゃねえから、勝手にしろ。」などと言うのみであった。なお、財布の中には、現金六万六五〇〇円が入っていた。

(10) 覚せい剤らしき物を発見したので専務員を派遣するようにとの上原巡査の依頼により、福生警察署生活安全課所属の清水喜隆巡査が本件ホテル三〇一号室に駆けつけ、被告人に対して覚せい剤の予試験をする旨告げた上で、被告人に見えるようにして室内のベッドの上で前記ビニール袋入りの白色結晶につき予試験を実施し、覚せい剤の陽性反応が出たため、同日午後二時一一分、寺門巡査らは被告人を覚せい剤所持の現行犯人と認めて逮捕し、その現場で右白色結晶一袋(原審甲1号証)、注射筒一本(同2号証)、注射針二本(同3、4号証)等を差し押さえた。

(11) 右白色結晶は、同月一三日に被告人から採取した尿とともに、同月一四日、警視庁刑事部多摩鑑識センター内科学捜査研究所へ鑑定嘱託され、同月一八日、鑑定書(原審甲7号証)が作成された。

2  寺門巡査らの三〇一号室への立入りの適法性について

1認定の各事実に基づいて検討すると、寺門巡査らが三〇一号室に赴いた時点においては被告人は既にチェックアウトの予定時刻をかなり過ぎており、再三催促されても曖昧な態度で宿泊料金の精算をしようとしなかったこと、被告人が入れ墨をしており暴力団関係者と疑われたこと、同巡査らは、三〇一号室の立入りにつき本件ホテルの責任者である篠原から許諾(依頼)を得ていたこと、篠原から被告人が清涼飲料水を一度に五缶も注文したり、部屋が二つに分かれているのではないか、などと意味不明の言葉を発したりしていることを聞いていただけでなく、現に、同巡査がドアの外から声をかけたのに対して全裸で姿をみせ、しかも同巡査の姿(寺門、溝口両巡査及び渡部巡査部長は、いずれも警察官の制服を着用していた。)を認めるや、一旦開こうとした内ドアを慌てて閉めるような行動に出たのであるから、これらによれば被告人について無銭宿泊のみならず、薬物使用の嫌疑も認められたというべきで、警察官職務執行法二条一項に定める職務質問の要件が存したことは明らかであり、その必要性、緊急性には高いものがあったというべきである。そして、寺門巡査が職務質問を続行するために三〇一号室の内ドアを被告人と押し合ってこれをほぼ全開にし、再びドアを閉められないように同室と内玄関の境の敷居上辺りに足を踏み入れたことについては、原判決のいう、職務質問の実施、継続を確保する観点からドアが閉まることを阻止するための必要かつ相当な有形力の行使(警察官職務執行法二条一項に定める停止行為に準じるもの)として適法というべきである。ところで、本件にあっては1の(六)認定のとおり、寺門巡査において内玄関と室内の境の敷居上辺りに足を踏み入れた途端、被告人がいきなり両手の拳を振り上げて寺門巡査に殴りかかるようにしてきたので、とっさにこのような状態の被告人を放置できないとの判断のもとに、寺門巡査において被告人の右腕をつかみ、次いで溝口巡査が被告人の左腕をつかんで、なおも暴れる被告人を客室内の間近にあったソファーに座らせたものであるが、これは被告人が突然強烈な暴行に出るという緊迫した状況のもとで、しかも瞬間的な出来事であって、寺門巡査らにおいて意識的に室内に立ち入ったものではなく、被告人の突然の暴行に殆ど反射的に対応するうち、一連の流れの中で被告人を制止するため不可避的に室内に立ち入る結果になったものと評価することができる。以上によれば、寺門巡査らの立入り行為が犯罪の発覚をおそれる被告人の意思に反するものであったとしても、これを違法と評価する余地はない。

ところで、原判決は、この点につき、「ホテルの客室内の客に対する職務質問は、プライバシー保護の観点から、差し当たっては出入口ドア付近においてなされるべきであるし、また本件では無銭宿泊や不退去の嫌疑が不十分であり、覚せい剤使用の嫌疑についても、客観的証拠はなにもなく、いわば捜査官の直感的なものに留まる。そうすると、三〇一号室の客である被告人が、客室のドアを押し閉めて、応対を拒否する意思を明示しているのに、寺門巡査らが、何ら説得をすることもなく、直ちにドアを押し開けて客室内に立ち入ったことは、職務質問をするために必要かつ相当な行為とは認められず、任意処分である職務質問の手段として許される有形力行使の限界を超えた違法なものである。」旨説示している。しかしながら、右判断は、寺門巡査らが三〇一号室へ立ち入ったことと被告人の暴行との時間的前後関係について同巡査らの立入りが先行することを前提とするものであるが、原審証人寺門邦浩は、内玄関と室内の境の敷居の上辺りに足を踏み入れたところ、被告人が両手を振り上げて殴りかかってきた旨明確に述べている(図面にも書いて示している。)ところ、これは内容的にも被告人が寺門巡査らの姿を見て慌てて内ドアを閉めたのに対し、同巡査が直ちにドアを押し開けたことなど前後の状況に照らして自然なものであるし、更に、原審証人溝口泰弘及び中立的な立場にある同篠原正之の各証言もこれに符合するものであって、これらを総合すれば、1の(六)認定のとおりの事実が優に認定できる。そうすると、原判決の右判断は前提となる事実の認定を誤っており、この点で既に失当である上、犯罪の嫌疑の点に関しても、本件ホテルはいわゆるラブホテルであって、男性一人の客が丸一日近く部屋にこもっていること自体が多少不審を抱かれてもやむを得ない面があるばかりでなく、当初のチェックアウト予定の時刻を三時間以上経過していることやホテル側が繰り返し精算要求をしたのに合理的な理由もなくこれに応じないで推移していたこと等にかんがみると、無銭宿泊ないし不退去の嫌疑は低くなく、また前記1の(二)ないし(六)認定の各事実に照らせば、薬物使用の嫌疑も認められるというべきであるから、この点でも評価を誤ったものといわざるを得ない。そして、ホテルの客室における職務質問はその出入口ドア付近でなされるべきであるとする点は、原則的にはそのとおりであるにしても、被告人が突然暴行に及んだことを含む本件の具体的経緯、状況のもとにあっては、客室内のソファーに座らせて職務質問をなしたことを違法視する余地がないことは既に説示したとおりである。

3  被告人の財布に対する所持品検査及び本件覚せい剤等の押収手続の適法性について

この点に係わる事実関係は、前記1の(七)ないし(九)に認定したとおりであるが、寺門、溝口両巡査が、寺門巡査に殴りかかるようにしてきた被告人を二人がかりで三〇一号室のソファーに押さえつけた直後、寺門巡査の「シャブでもやっているのか。」との問いに対して、被告人は、「体が勝手に動くんだ。」、「警察がうってもいいと言った。」などと言い、まもなく溝口巡査において被告人が右手に注射器を握り、小指の下から針が出ているのを見つけたのであるが、それ以前の段階においても篠原からの申告内容や被告人の異常な言動等によって薬物使用の嫌疑が認められていたのに加えて、右のように被告人が覚せい剤事犯に直接結びつくような発言をしたことや右手に注射器を握っているのが発見されたことから、被告人について覚せい剤使用、所持の嫌疑が飛躍的に高まったものというべきである。

このことを踏まえて、上原巡査がテーブルの上に置かれた被告人の財布を開き、小銭入れの部分から本件覚せい剤を発見した点について検討するに、所持品検査は任意手段たる職務質問に付随するものとして許容されるのであるから、所持人の承諾を得てその限度で行うのが原則であるが、所持品検査の必要性・緊急性、これによって侵害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡を比較考量し、当該具体的状況のもとで相当と認められる場合には、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、所持人の承諾のない場合でも許されるものである。これを本件についてみると、前記1の(三)ないし(六)認定の警察官出動の経緯や篠原の申告内容、被告人の態度などから職務質問をなすべき要件が存していたことは明らかであり、また覚せい剤使用という嫌疑の性質、重大性かんがみれば所持品検査の必要性があったことも十分肯定でき、更に、被告人は寺門巡査らに押さえられていてもひどく暴れ続けていた状況、右手に注射器を握っていたのが発見されたことにより被告人が当該財布内に覚せい剤を所持している蓋然性が客観的にも極めて高くなっており、これを放置すれば覚せい剤を遺棄するなどして罪証を隠滅する可能性が大であったことなどに照らせば、緊急性も肯定される。

そして、上原巡査らが行った所持品検査の具体的態様等についてみると、まずその対象物は二つ折りの財布(しかも床上に落ちていた。)で、通常は現金やカード類が入っているに過ぎないものであって、鞄や着衣等と比較するとプライバシー侵害の程度は高くないといい得るし、検査の具体的態様は、例えば、被告人の身体に手をかけて探ったり、あるいはその着衣のポケットに手を入れて内容物を取り出すといった被告人に対して直接有形力を行使する態様のものではなく、被告人の手から離れて一旦テーブルの上に置かれていた財布を手に取った上で、財布の中を見せるように繰り返し説得しつつ、被告人の頭が下がったのを被告人が中を見せるのを了解したものと解釈して、二つ折りの財布を開き、ファスナーの開いていた小銭入れの部分から白色結晶入りのビニール袋を抜き出したというものである。このようにみてくると、上原巡査の行為に限定して考察すれば、右所持品検査は捜索に至らない程度の行為であり、強制にわたらないものであると評価し得るようにも思われる。

ただ、ここで見落とすことができないのは、上原巡査らが被告人に財布の中をみせるように説得していた際、被告人は寺門、溝口両巡査によって全裸のまま身体を押さえ続けられていた点である。もとより、被告人がそのような状態に置かれるについての発端は、被告人の暴行によるものであるし、その後も原審証人寺門邦浩及び同溝口泰弘が証言するように、仮に被告人を押さえ続けるのを止めていたら警察官側が殴られるような事態が予想された(なお、その後逮捕する旨を告げられた被告人が激しく暴れ出し、これを制止するためには保護バンドなどの戒具が必要な状態になったことは、原判決が認定しているとおりであって、右各警察官の証言が単なる杞憂でなかったことが明らかである。)のであるから、寺門巡査らが被告人の身体を押さえ続けたこと自体はやむを得ない面があるといえるが、それにしても寺門巡査らが全裸の被告人を押さえつけたまま、被告人側の様子の変化等に応じて下着ないしズボンをはかせるなどの措置をとらないで、約三〇分間にわたってその身体を押さえ続けた行為については、有形力行使の態様及び程度において職務質問に伴うものとして許容される限度を超えて行き過ぎがあったといわざるを得ない。そうすると、そのような行き過ぎた身体拘束下に置かれた被告人に対する所持品検査も、その許容される限度を超えたものと評価せざるを得ないこととなり、ひいては右所持品検査によって本件覚せい剤が発見されたことに依拠してなされた被告人の現行犯逮捕、本件覚せい剤等の押収手続もまた違法であるといわざるを得ない(なお、本件所持品検査につき、被告人の頭が下がったからといって、その任意の承諾があったと認められないことは、原判決が正当に説示するとおりである。)。

しかしながら、以上検討したところを総合し、全体として観察すると、本件においては所持品検査の必要性・緊急性自体は高度のものが肯定でき、またその対象物が財布であったことのほか、所持品検査の具体的態様も既にファスナーの開いていた状態の小銭入れ部分から内容物を取りだすというに過ぎなかったのであること、上原巡査らにおいて令状主義に関する諸規定を潜脱しようとの意図があったものではないこと、全裸の被告人を約三〇分間にわたり押さえ続けたことについては違法であるものの、これは直接的には所持品検査に向けられたものではなく、被告人が暴れ続ける中で職務質問を続行するために行われた必要、最小限の有形力の行使であって、それ以上の有形力の行使はなかったこと、更に、本件所持品検査により害される被告人個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡なども合わせ考慮すれば、上原巡査らの行った所持品検査、被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕したこと及びそれに引き続く本件各証拠物(覚せい剤結晶一袋等、原審甲1ないし3号証)の押収手続の違法はいずれもその証拠能力に影響を及ぼすほど重大であるとまではいえない。したがって、右各証拠物及びそれに関する各鑑定書(同7、8号証)を有罪認定の証拠とすることが違法捜査抑制の見地からみて相当でないとまでいうこともできず、差し押さえられた覚せい剤等の証拠能力を肯定して差し支えないというべきである。そうすると、本件覚せい剤等の収集手続に重大な違法があるとして右覚せい剤等及びそれについての各鑑定書の証拠能力を否定した原判決の判断には訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、所論のその余の点について検討するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

三  採尿手続等の適法性について

1  被告人の尿の採取手続に関しては、関係各証拠によれば、平成九年八月一二日福生警察署に連行された被告人は同日から翌一三日にかけて取調べを受けたが、尿の任意提出を拒んだため、被告人の尿の捜索差押許可状が請求され、同日中に東京地方裁判所八王子支部裁判官はこれを発付したこと、そこで取調官は再度尿を任意に出すよう説得したが、被告人がこれに応じなかったため、同日午後二時ころ、強制採尿を実施するために工藤武久警部補ほか約五名の警察官が被告人を東京都福生市内の西村医院に連行したこと、同医院において工藤警部補は被告人及び西村医師に対して被告人の尿の強制採尿令状を提示した上、同警部補らにおいて被告人をベッドに押えつけてズボンを脱がせ、西村医師がカテーテルを使用して医院備付けの採尿用紙コップに被告人の尿を採取したこと、そして、同医院の看護婦が工藤警部補の指示に従って警察側で用意した採尿容器を水洗いした上で、右尿を紙コップから右採尿容器に移し替えて蓋をしたこと、そして、工藤警部補が被告人に対して採尿容器の封緘紙に署名するように求めたが、被告人がこれを拒絶したので、立ち会っていた警察官において右封緘紙の採尿署課隊欄に所定の事項を記入した上で、被告人の氏名を書きかけたところ、その部分は被告人に自署させるべきと理解していた工藤警部補が止めたこと、その後看護婦が採尿容器の蓋の上から右封緘紙を貼付した上、右封緘紙と採尿容器本体とにかけて指印を施して右採尿容器を封緘したこと、被告人の尿については翌一四日、警視庁の科学捜査研究所へ鑑定嘱託がなされ、同月一八日鑑定書(原審甲13号証)が作成されたこと、以上の経緯が認められる。

2  右1の事実関係に照らして考察すると、本件における被告人の尿の強制採尿手続は、裁判官が発付した捜索差押許可状に基づき、かつ、その執行手続においても格別違法視すべき点がないものであるから、被告人の尿に関する鑑定書(原審甲13号証)及び鑑定結果についての報告書(原審甲24号証)の証拠能力は、これを肯定して然るべきものである。

原判決は、「強制採尿手続に先行する被告人の現行犯逮捕手続に重大な違法があり、強制採尿令状の発付を求めるに当たって添付された疎明資料の主要なものが違法な先行手続により収集されたものであることからすると、右強制採尿令状の発付には重大な瑕疵があったといわざると得ず、かかる強制採尿令状の執行により得られた被告人の尿についての鑑定書及び鑑定結果についての報告書を有罪認定の証拠として許容することは、将来における違法な捜査抑制の見地から相当でない。」などと判断し、被告人の尿の採尿手続に先行する現行犯逮捕手続や本件覚せい剤等の押収手続に重大な違法がある以上、尿の採尿手続にも重大な違法があることになるとして、その鑑定書等の証拠能力を否定している。

しかし、本件における所持品検査ないし現行犯逮捕手続に違法な点が認められるものの、その違法の程度は右手続の過程で収集された本件各証拠物の証拠能力を否定するほど重大なものとまではいえないことは、前記二の3において認定したとおりであり、またその際作成された現行犯人逮捕手続書等を疎明資料として強制採尿令状が発付され、被告人の尿の採取に至った一連の手続に格別問題とすべき点はない。したがって、原判決が、被告人の尿の鑑定書及び鑑定結果についての報告書の証拠能力を否定したことは誤りであり、原判決はこの点でも判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある。

四  結論

以上の次第であって、原判決には前記二、三で説示したとおりの訴訟手続の法令違反があり、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、更に審理を尽くさせるため、同法四〇〇条本文により、本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仁田陸郎 裁判官 下山保男 裁判官 角田正紀)

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